【撮影記】感動的な、あまりに感動的な、甘利山

本日は、山梨県は韮崎市にある甘利山に行ってきた。とある富士山写真家である知人の紹介で、今の時期はレンゲツツジも時期になっているという情報をもとに撮影を敢行。車でひた走った。幸いなことに今住んでいるところからは一時間弱で行ける。車で山頂付近まで行くことができて、山頂付近にはそれなりに広い20台くらいはとめられる駐車場もあった。

GPVで雲の動きをチェックするところ快晴のようだ。私は夜景も撮りたかったので、夜二時過ぎ頃に出発した。三時半ごろに到着し、四時半の日の出までの間、夜景を撮るという算段だ。駐車場についた時はまだ暗くて、空は満天の星が輝いていた。

「嗚呼、ここで三脚出して星空も撮りたいな。。」

そこを我慢して、山頂を目指した。来る前に買ったヘッドライトを使う。カメラ撮影では、周囲のカメラマンに迷惑をかけず、それほど明るすぎず、単三電池一本で点灯できるものが具合が良い。

とにかく真っ暗な道をビビりな私はiPhone5で凛として時雨を流しながら熊よけをしつつ、登る。ほどなく「東屋」と「山頂」の分かれ道にさしかかった。そういえば知人には、まず東屋に寄るようにとアドバイスを受けていたので、寄ってみると、眼前には甲府盆地の壮大なる夜景が広がっていた。

「なんぞこれ、すごすぎるんご。。」

撮影している人はすでに五人ほどいた。なんとなくここを動いてはいけないと本能的に察知して、私はここに陣取り、夜明けを待つことにした。レンゲツツジの咲いている山頂は、なんとなく日が明けてからの方がいい気がしたのだ。夜景も撮りたかったが、構図を模索している間に、あっという間に明るんできてしまった。こんなことなら夜二時ごろから来ていればよかった。もっといえば駐車場で待機して車中泊もありかもしれない。ただ六月とはいえそれなりに寒い。薄手のダウンジャケットを持ってきて正解。

そして朝焼け。後で聞くところによると、当たり前のように朝焼けするのかと思いきや、そうでもないらしく、この日は運がよかったようだ。折角なので太陽が昇るところも撮りたい。

「太陽が綺麗ですね」

私の撮影スタイルは、7枚ブラケットで露出を変えながら連射するので、結構、パシャパシャと音がする。それをPhotomatixでHDR化するのが好きだ。時には一枚のRAWのみで追い込んで現像することもあるし、JPG撮って出しの場合もある。街並みもやや雲海のようになって非常に幻想的だった。前日に季節外れに富士山に雪が降って、少し冠雪したので、なかなかよい塩梅だ。

満足したので、甘利山の山頂を目指す。レンズを三本持っているとはいえ、少し階段を上っただけで、「はぁ、はぁ」と息が切れ始めた。なんだもう四十歳になったからだろうか、歳なのだろうかと少し不安になったが、標高1700mということもあり、空気が薄いのかもしれない。次第に慣れてきて息は整った。

レンゲツツジはそれなりにしおれている感じもしたが、朝日を浴びたレンゲツツジはとてつもなく美しい光景を紡ぎだしていた。山頂に昇る途中、ふと眼下を見ると、

「。。。」

言葉がでなかった。カメラを構えることも忘れた。気が付くと涙が出ていた。風景を見て泣いたのは初めてかもしれない。私はこの美しさをなんとか写真に収めたい、いや表現したいという情熱が、心のそこから込み上げるのを感じて、思い出したようにカメラを構えた。どうしても表現できない気がしたが、レンズをとっかえひっかえしているうちに、現実に感動している光景に近いものが撮れたような気もした。

神はまだ死んでなかった。神レンズとはいえ、神がかった光景を撮るのだから互角と言ってもいいだろう。HDRの力を借りてでもいいから、なんとか伝えたい。この風景を私だけが見て、感動するのは、非常に勿体ない気がしたからだ。私はこの場所を「天国の花畑」と名付けた。ここでなら死んでもいい気がしたからだ。否、むしろ死ぬならここで死にたいとさえ想ったのだった。

そうこうするうちに山頂に着いて、眺める風景もまたよかった。私のほかには山頂には一人二人いるくらいであった。富士山もよく見えて、レンゲツツジも初見の私には十分すぎるほどよく咲いてくれている。そうして試行錯誤しながら決めた構図で撮った。感動した先ほどの天国の花畑を入れて、なおかつ富士山、そして雲海の下にうっすらと見える甲府盆地の街並み。なんとも贅沢だ。山梨に住んで一年以上経過している中で、色々と見てきたが一番感動した光景かもしれない。

「そうか私が撮りたかった写真は風景写真だったんだ」と気づかされた。

何年後でもいいから是非ともまた訪れてみたい。

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