【物欲制御】新しいレンズが欲しくなったときの処方箋

新しいレンズが欲しくなるというのは、カメラ・写真を趣味にする者にとっての、一種の病である。病といってもそんなに大事なことではない。新しいレンズが欲しいなどというのは、一般的には風邪くらいな感覚である。カメラ本体が欲しいとなるとインフルエンザくらいだろうか。しかし、写真が撮りたいというのは不治の病なのであきらめてほしい。以下、まとめるとこんな感じである。

1・「レンズが欲しい」 → 風邪

2・「カメラが欲しい」 → インフルエンザ

3・「写真が撮りたい」 → 不治の病 ※富士山の写真が撮りたい限定だと、富士の病

病というからには薬が必要である。今回は1のレンズが欲しいという病に対しての処方箋をいろいろと考えていこうと思う。といっても私は医者でも心療内科医でもないので、この記事があなたにとっての薬となるか毒となるかの責任は免責させていただくので予めご容赦願いたい。などと、堅苦しく大風呂敷を広げてしまったが、これから考えるので、以下、つらつらと書いてみよう。

さて一般的に風邪といっても実際の風邪には、鼻からくるもの、喉からくるもの、気持ちからくるもの、などと色々あるように、「新しいレンズが欲しい風邪」(以下、カゼ)にもいろいろとある。大きく分けると、製造元からくるもの・性能からくるもの・価格からくるもの、の三点に分類することができるだろう。

ひとつ目の製造元からくるものはメーカー純正品か別メーカー製(サードパーティ製)かという大きな選択の分かれ道がある。現在サードパーティ製のレンズを使っているが、やはり純正品が欲しくなってきた。もしくはその逆、はたまた純正品同士や、サードパーティ製から別のサードパーティ製に乗り換えたいなど状況は様々だろう。

その際、よく考えたいことは、現在所有しているレンズに不満点があるかどうかである。ただ単純に新しいレンズが欲しいという思いだけが強まり、現在所有しているレンズで必要にして十分であるにもかかわらず、闇雲に物欲だけが増大している可能性があるからだ。

ところで三つに分類などをしたが、この三点の全てには相関関係がある。身も蓋もなく書いてしまえば、製造元が純正メーカーになれば、性能はよくなり、価格は上がってくるということだ。(※カール・ツァイス様等の例外もあるが) 純正メーカー同士でも、価格が上がれば性能は上がる。または性能が上がれば価格は上がると言える。まあそんなことは当たり前で、その先にある問題としては、その性能の違いがどこまで、自分に必要なのかを判断することが難しいという点であろうか。

例えば具体的な例をあげるなら、現在、単焦点レンズのCanon EF50mm f1.8 STMを使っているが、Canon EF50mm f1.2Lが欲しいとなった場合、本当にf1.2が必要なのかを理路整然と説明できる人は少ないのではないだろうか。かくいう私もその一人である。そこでネット上でアップされた様々な同レンズのf1.2で撮られた写真を探したり、同レンズの評判などを価格.comで読んだりするわけである。ここまでくると病の初期症状から一歩進んできている。

ただここで注意したいことは、ネット上でアップされた写真はうまく撮れた写真ばかりなので、欠点が見えにくくなる場合があることと、逆に評判などはネガティブなものが多いので、公正な判断ができなくなる危険性があるということだ。そこで最終的にはその全てあるいは都合の良い情報で形成された、自分自身の印象で判断して購入するかしないかを決定するしかない。そこでもまた思い込みが発生する場合があるので、何度も何度も何度も、タイムリープはしないで、店頭に赴き試写を繰り返すのだが、店頭の試写でどこまでレンズの性能がわかるかは疑問なのだ。そこでこのカゼに罹患した人には、次のような雑多な思い込みが発生する。

・純正品のレンズなのだから、良いに決まっている!(純正信者)

・サードパーティ製は性能至上主義だから、純正品より良いはずだ!(サードパーティ愛好家)

・高級なLレンズなのだから、撒き餌レンズなどとは比べ物にならないはずだぁ!

・F値が低ければ低いほど、シャッタースピードも稼げるし、よくボケるから良いレンズだ!

・レンズに蛍石が使われているから神レンズに違いない!?

・非球面レンズが使われているから、収差もないだろう!

・きっといいはずだ!

などなど…

ここまでくるとかなりの重症であり、原点に立ち戻る必要があるだろう。それは、

なぜ新しいレンズが欲しいのか?

ということだ。そこでおそらくこのカゼに罹患した輩は以下のように即答するだろう。

いい写真が撮りたいからだ!

しかし待てよ、そもそもいい写真とは新しいレンズがなければ撮れないのか?まったくレンズが一本もない状態ならそうかもしれないが、いやそれでも、iPh〇neなどでも十分にいい写真は撮れるではないか。いい写真とはプロが撮るような写真のことか?じゃあプロはみんな高性能なレンズで撮っているのか。そうじゃないぞ、写真家の森山大道氏などはコンデジで撮っているぞ?新しいレンズがあればいい写真が撮れるかもしれないが、撮れないかもしれないのだ。つまりいい写真を撮るための条件として、新しいレンズが必要というのは、嘘である。今のレンズでも撮ろうと思えばいい写真は撮れるだろう。

それでも新しいレンズを買うことによって、写欲(写真を撮りたいという欲求)とかモチベーションが上がるのは間違いないだろう。たとえ一時的なものであったとしてもだ。四十過ぎの毒男がこんなことを言うと気持ち悪いと思うが、私はレンズを買うことを一種の結婚だと思っているので、レンズを買うたびに妻あるいは嫁が増えて、ハーレム状態となるのである。大方、多くの男どもは無自覚であれ、このようなコレクター魂を根源とした、倒錯感を得たいがために、レンズが欲しくなっている場合が多いだろう。

毎朝、目が覚めると、今まで欲しかった憧れのレンズたちが自室の防湿庫で静かに横たわっているという生活を約束されるわけである。私はそのレンズたちに向かって、おはようとつぶやきはしないが、ふと思い出したように写真を撮りたくなるのだ。

。。と、大幅に脱線した感じがあるが、とどのつまり、いい写真を撮るために新しいレンズを買おうというのは、間違ってはいないが非常に贅沢な行為でもある。新しいレンズを買ったからといって、本当にいい写真を撮れる自信などはないのだし、逆に現在所有しているレンズでもいい写真が撮れるなら、そもそも必要ないではないかと、他の嫁(レンズ)たちの嫉妬から論破されてしまうことは火を見るよりも明らかだ。

そこで苦肉の策として、極めて主観的ないい写真というものを、レンズの性能によるいい写真に置き換える必要がある。解像度が高いとか、歪みや収差が少ないとか、F値が低いことによる被写界深度の表現力とか、単焦点レンズによる透明感の違いなどである。ただその違いは、わかる人にしかわからない世界になってくる。結局、DVD画質をブルーレイ画質にしたいかとかいう問題と変わらなくなってくる感も否めない。このままだと唯一、新しいレンズを新調する動機として有効なのは、焦点距離の違いくらいになってしまいそうだ。

と、ここまで考えて書いてくるにつれて、新しいレンズを買う意味が薄れてきたような気がしてきたのではないだろうか。つまりカゼが少し良くなったということだろう。カゼは一時的に治ったとしてもまた引く可能性はある。今後もレンズの構造や性能を日々、勉強することによって、無駄なカゼを引かないように予防に努めたい。

などと、しかつめらしくここまで書いておいてなんだが、私は先日、新しいレンズを買ったのだった。新しいレンズを買うことで治る場合もあるので、やはり一番の特効薬は新しいレンズを買うことなのである。ただ最後の3の不治の病だけは治りそうにない。新しいレンズを手に入れれば写真を撮りたいという思いはますます強くなってくるのだし、不治の病は治らないのだから仕方ないのである。

それでは長々とした駄文になりましたが、最後に皆様の、写真が撮りたいという、不治の病が治らないことを願って、合掌。(カメラを構えるポーズで)

※編集後記

この記事は赤城耕一著『赤城写真機診療所~そんなカメラは捨てなさい』に影響されて書いたものです。

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