とある雑記の備忘録Ⅰ

最近、あまり写真を撮っていない。写真に対するモチベーションが下がりつつあるのだが、紅葉は是非、撮りたいと思っている。昇仙峡八ヶ岳辺りの紅葉を撮ってみたい。長瀞の紅葉かもまた撮りに行きたいが、紅葉の時期は大変、難しいので情報収集は欠かせない。なぜ写真に対するモチベーションが下がっているのかは特定できていないが、

広角ズームレンズが無性に欲しい。勿論、純正信者である私としては、EF16-35mm F2.8L III USMしか眼中にはない。広角が欲しい理由は、建物などを広角で撮りたいのと、風景を撮りたいからだ。アニメ風の加工を施した風景写真に興味がある。簡単なレタッチから、本格的なものまであるようだが、ネットではその手法が詳しく載っているサイトをたまに見かける。HDRとは違ったよさがある。その反面、最近では

HDRなど過度に加工した写真が跋扈することに疑問を感じる。東京カメラ部などの綺麗な写真がTwitterのタイムラインに流れて、ああ綺麗だなと思うのだが、それ以上の感銘を受けることが少なくなってきた。JPG撮って出しの方がリアルというか、人のみかと思っていたが、写真全般にも不気味の谷現象があるのだろう。

写真を撮ることは、人生の一部でなくてはならないというような考えが好きだ。つまり観光ガイドブックに載っているような綺麗な光景、はたまた前人未踏の風景を撮ったとしても、その時点では単なる確認作業である。まず写真を撮るという以外の動機づけによってなされていなくてはならないということだ。何気なく夜道を歩いていて街灯の光が綺麗だと思い撮った写真の方が、人生の一部としては正しい。

つまりは写真に何かを伝えたいとか、メッセージを込めるとかいう作業は本末転倒である。伝わるものはそのままで伝わるし、メッセージなどは受け手によって解釈されるものだから。そんなありふれた受け売りのような考え、そういった一切合切のエピゴーネン的な思想に陥らないで、純粋に写真だけを撮っていたいものである。

先日から、小説家になろうサイトでラノベをつらつらと読んでいたら、自分も小説や詩を書きたくなってきた。ただし所謂、小説の書き方的な手法によって、当たり障りのない設定だとかプロットだとかに頼って書きたくない。真に魂の叫びのような、詩のような小説が書きたいのだ。私が生きている証のような、そんな感覚。それは写真を撮ることとも通じる。そんなこんなで情熱を燃やすべき対象が多すぎて、雲散霧消しないように気をつけたい。

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