山梨に住み始めてから彼是一年以上が経過した。さすがに聳え立つ山山にも飽きてくるのだが、富士山だけは不思議と飽きない。富士山だけは別格である。シュッとした感じで非常に意識高い系の山なのである。意識はないだろうけど、威風堂々としたその姿をみると、ついつい擬人化もとい神格化してしまうのだ。
私は個人的には精進湖からの富士山が好きである。その理由は比較的、大きく見えるということと、形のよさと、逆さ富士が撮れるということ、そして住んでいる中央市から車で片道30分程度と近いためである。ただし精進湖は湖に浮かぶボートが非常に邪魔である。
朝五時のチャイムでボートを乗り出す数人の人々、そして朝八時には数十隻ものボートが練習を始めてしまう。冬場でも釣り人の船はあるようだ。これは逆さ富士の天敵である。鳥もまた天敵である。故に朝方に、逆さ富士を撮るならば日の出から朝五時までの間となる。風のない日、雲のない日となるとなかなか難しいのだ。だがしかしそれだからこそ価値があるといってもいいのだろう。
夕暮れ時も、逆さ富士が撮れるタイミングはある。そして雪解け具合にもよるが、山肌があらわになっているときには非常に稀なようだが、赤富士・紅富士を見ることもできる。これは夕日に染まって、山肌の茶色が独特の赤味がかった状態になるのだ。普通の山でもごくまれに、こうした赤色に染まることがある。私も一年以上、山梨に住んでいるが、遠くの山々が赤味がかったことは一度か二度くらいしか見ていない。
つい先日、車中泊をした。農鳥も溶けて、梅雨入り前の晴天のタイミングだったからだ。夜の星空と富士山を撮りたかったのだが、生憎、夜は雲がかかってしまった。それでも夕暮れ時に貴重な赤富士を写真に撮れたことは生涯忘れないだろう。夕暮れ時の三十分かそこらの短い時間ではあったが、ちょうど、雲が晴れて、赤く染まった富士山は、美しすぎて泣きそうになるほどであった。
精進湖からほど近い、本栖湖の富士山は千円札に描かれている富士山のロケ地として有名だ。小高い山を二、三十分ほど登ると、高台から見ることができる。ここは一度、友人と訪れたことがある。いつかは朝方に逆さ富士が見える状態で、写真に収めてみたいところだ。
ただし、写真を撮るタイミングとして、富士山は一年中ではない。夏場には冠雪がなくなりただの茶色いはげ山のようになってしまう。それでも赤富士やダイヤモンド富士を撮るのならいいのかもしれないが、正直、魅力は半減してしまう。逆に雪が積もりすぎてもなんだかなとなるので、時期としては冬場から梅雨入り前ぐらいまでが、所謂、富士山的な写真を撮る時期としてはいいのだろう。
富士山と星空、できれば天の川と富士山の写真が撮りたい。季節によって天の川の見える方角は違うようだ。今の時期(6月)だと、南側に見えるのだろうか。もう少し情報収集に努めたい。河口湖の北側にある、新道峠からの富士山と天の川をいつか撮ってみたいと考えている。河口湖はカチカチ山ロープウェイで、手軽に富士山を見ることもできる。また大石公園あたりで富士山を背景にランエンダーかなにかの花が咲いていた記憶がある。
身延山からの富士山もロープウェイで手軽に見える。できれば春の桜の時期に行きたいところだが、自家用車の場合は交通規制があるので、時期を外して見に行くのもいいだろう。甲府盆地の夜景を一望しながらの富士山なら、間違いなく笛吹川フルーツ公園からだ。こちらは24時間入れる公園なので夜でもじっくり撮影できる。湖はほかにも田貫湖、西湖、山中湖などがあるが、田貫湖の富士山の形はあまりよくないと、山梨在住の元後輩に聞いた。確かに中央付近が割れ目のように凹んで、少し歪で不気味に見えるような気がする。
こうして富士山のある街に住んで気づいたこと。それは富士山は様々な表情があるということだ。いつも晴れて、雪が積もった綺麗な富士山の写真が撮れればいいがそうは問屋が卸さない。雪が降り、雪が溶け、雲がかかり、晴れ間ができ、雨が降って、彩雲がかかり、ダイナミックに動いているのだ。でもだからこそ面白い。
そういえば富士山写真家の大山行男が確かこんなことを言っていた。「富士山は宇宙とつながっている」と。富士山をとりまく空、そのつながりすべてを含めて富士山なのだということだろうか。そしてそれは宇宙までもつながり、もちろんこの大地になっている私自身にすらつながっている。そしてまた詩人である、谷川俊太郎もこんなことを言っていた。「女は宇宙とつながっている」と、そして詩もまた宇宙とつながるのだろう。聊か我田引水ながら、とするなら、富士山はほとんど詩ではないかということになる。
そんな折、私は精進湖の畔で、車中泊をしたのであった。山梨に住むのも今年いっぱいなので後悔しないように楽しめと友人に言われたのと、とある富士山写真家の方から、夜の精進湖がよいと聞いたのもあり、これはと想い一念発起して、一晩を富士山と共に過ごしたのである。たくさんのキャンパー達もいたので、それほど孤独感はなかった。そして何より富士山があるということの安心感は大きかった。いつみても傍らに富士山があるという幸せを噛みしめながら、いつまでもいつまでもここにいたいなと思った。
翌朝、元後輩が朝ごはんの差し入れにやってきた。その後、私は朝霧高原付近をドライブしながら、富士ミルクランドでのんびりと散歩してから、家に帰ったのだった。ぜひともタイミングをみてまた行きたい。独りというのもいいものだが、できれば写真仲間や、友人とともに。なんならキャンプもしてみたいと思うほどである。
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