Kindle版が無料だったので、なんとなくiPhoneで読んでみたら、意外と面白かった。いわゆる、自己啓発本だ。堅苦しくなく(むしろ砕け気味)、哲学系で例えるなら、ソフィーの世界を自己啓発バージョンにしたような感じである。妙な関西弁の象の神様が出てきて、ひたすら自分が変わるにはどうすればいいのかと、過去の偉人の言葉をしかつめらしく引用して、主人公のダメ人間(?)を諭していくというものだ。
その中でも一番印象に残った言葉は、「お金だとか地位だとか名誉は、畢竟、周りが他者が自分に与えてくれたものに過ぎない。だから人のためになってこそ自分自身に価値が生まれるのだ」といったような言葉だった。それがつまり身近なことだと、トイレ掃除をするだとか、募金をすることなのだと。自分自身の為だけの夢などに価値がないということなのだろうか。これは百獣の王も言っていた気がするが、自分の為だけの夢になど価値はなく、他者の為になる夢にこそ価値はあるということなのだろう。
でも僕は天邪鬼なので、他者の為になるだけでなく、自分の為にもならなければ満足できない。自己満足すらできていないのに、他者を幸せになどできないと考えるからだ。でも逆に他者に自分を幸せにしてもらおうとも考えたくない。例えば結婚をすれば幸せになれると思うことは、結婚しなければ幸せになれないという強迫観念にも繋がってしまう。結婚しなくても幸せになれないような人間は、結局結婚したところで幸せになれないだろう。
人は往々にして、若いころなどは特に、生きる意味だのを探そうとするが、それだって考えてみればこの世界という外界(大きく言うところの他者)に依存していると考えられなくもない。そして生きる意味などはないという答えにたどり着くまで、答えのない問いかけを続けなくてはならない陥穽にはまる、それは幸せではなく不幸だ。そうして、気づいたところで、大切なことはこの自分の中にあった、これが生きる意味だと気づいたことさえ幻で、虚無に支配され、中二病に陥るというルートはもはや予定調和である。
だから大概の人は、だた毎日を仕事にあけくれ、忙殺されることでエポケーする。考えることをやめてしまえば、本当にやりたかったことも、何が幸せなのかもわからず、適当に時にがむしゃらに働き、少なからずお金を稼ぎ、家のローンなどを返し、死ぬまで搾取されて終わりだ。子供のころは、給料日が楽しいだけの人間にはなりたくないと考えていたが、いつの間にか僕もそうなっていたのではないか。
本当にやりたいことは何なのか。僕はカメラマンになりたいのか、詩人になりたいのか、歌い手になりたいのか、ニートになりたいのか、ヒーローになりたいのか。誰の為でもない、自分の為に、本当にやりたいことは何なのか。まだ真っ白で何も決まっていなかったことに気が付く。それはある意味、青春で。何かの為にとかいう、一切合切のシガラミなんかを通り越して、もはや自分の為ですらなく、ただ自由に飛び回る鳥のように生きろ。そんな印象をこの本から受け取ったのだった。
コメント